敬老の日

敬老の日

両家のおじいちゃん、おばあちゃんにLINEのビデオ通話で日頃の感謝を伝える姉と弟。

22歳と15歳、親には冷めた態度をとることも多々あるのに、おじいちゃん、おばあちゃんには優しい声と笑顔で話をしている。電話口から漏れ伝わってくる両親の声は嬉しそうで、その様子を見て幸せな気持ちになった敬老の日。

もう一人のおばあちゃん

浴衣裏話をもう1つ。

この浴衣姿の写真を撮った場所は、ご近所のお友達Мさんのお宅の玄関です。

なぜに自宅ではなく、Мさんのお宅かと言いますと、Мさんに浴衣を着せてもらったから!!

事のいきさつは、こう。娘は事前にyou tubeで浴衣の着付けの練習をして、何とか一人でも着られるところまで予習しており、最後の帯を良い塩梅に締めるのところだけを私が手伝う予定でした。ところが、私に急遽出掛ける用事が入ってしまい、一人で着付けすることに。不安に感じていたところ、あっ!!と思い出したのが、ご近所のМさんの存在。

以前に、Мさんさんから「清水港に停泊する客船の旅の途中の外国の方に、日本での思い出の一つになるようお着物を着付けするボランティアをしていて、とっても喜ばれているのよ~~」というお話を伺ったことを思い出したのです!

以前から我が家の子供たちのことを常々可愛がってくださっているМさん。浴衣の着付けのお願いをしたところ、二つ返事で引き受けてくださいました。

その日の夕方、用事を終えて帰宅したその足でМさんのお宅にお礼に伺った私に、目を細め嬉しそうに「お礼なんていいのよ~、可愛い○○ちゃんの浴衣姿を見られて嬉しかったわ。」とおっしゃるМさん。

子供たちは、両家の祖父母にとっても可愛がってもらい育ってきましたが、物理的な距離があり会えるのは年に数回。

でも、今はすぐ近くにこんな風に掛け値なしの愛情を注いでくださるМさんが居てくださる。なんて有難いんだろう。 

祖母の浴衣で夏祭り

8月のある日、友達と夏祭りに出かけた娘。

 

久しぶりに浴衣が着たい!と言って着たのは、まだ若かりし頃の祖母(私の母)が縫った浴衣。

母はこの浴衣を20代に作ったきりで、結局一度も袖を通すことがないまま、箪笥に眠らせること50年以上。まさか、こんな風に幸せな陽の目を見る日が来るとは、思ってもみなかった、と喜んでいました。

娘は今どきの浴衣とは雰囲気が違う、ノスタルジックな白地に紺の紫陽花柄を大層気に入りました。何より、おばあちゃんが自分と同じような年頃に手作りした浴衣であることに愛着を感じていたいようです。 

人にもモノにも歴史あり。

祖母と孫娘、それぞれの人生の歴史のなかに、新しくこの出来事が加わりました。こうやって1つ1つ積み重ねられていく時間は目には見えないけれど、その人や物が纏う雰囲気を醸し出していくのだと思う。

娘の友達、Sちゃん撮影の浴衣姿と花火の記念写真。

とある日曜の午後

とある日曜の午後。

思いがけず、いつもドライな高1男子の微笑ましい姿に遭遇。

ベランダに干して取り込んだままリビングに置いたあった布団で、部活から疲れ果ててて帰ってきたちょ太が昼寝していた。熟睡している彼の腕枕で呪術廻戦(友達と行ったゲーセンのUFOキャッチャーでゲットしたぬいぐるみ、布団と一緒に干しておいた)が添い寝していた^^

親心

この春から、娘を社会に送り出し、これで母親としては一安心と思っていた私。ところが、そうではなかった、、、慣れない仕事に疲れて帰宅する様子を目にすれば、仕事は務まっているだろうか?人間関係に困っていないだろうか?と、安心どころか、あれこれ心配している。

学生ではなくなって金銭的に援助することはなくなっても、わが子のことを気にかける気持ちは、きっとこのまま変わることなく、私の人生が終わるまで続くんだろうな。

そんなことを思っていた矢先、母から荷物が届く。

箱を開けたら、ずらりと並んだトウモロコシが、こんにちは!!新聞紙が巻いてある包みは長ねぎの束。小さなジップロックの袋には、母のお手製梅干し。そして、この下には精米したてのお米。

お米は10kgはあろうかという重さ。75歳のおばあちゃんには、運ぶのだって重くて一苦労だろう。それなのに、私が結婚してから20数年、定期便のようにせっせとこの愛情便が届き続ける。お母さん、私、もう50歳だよ。

自分も子を育ててみて、以前よりは母の気持ちが分かるようになったから、この荷物の重さをずっしり感じながら、お米や野菜に込められた気持ちが有難い。しみじみと。

娘へ 名刺入れ

娘へ名刺入れを作って贈りました。

酸いも甘いも経験していくだろう娘の仕事にお供していく名刺入れに、頑張って!のエールを込めて一針一針縫っていきました。 

娘の門出に作った特別な一品との気持ちがあり、名字の頭文字「N」をゴールドで名入れしてもらいました(業者さんに依頼しました)。

カラーは、大人っぽくキャメル系。実用面も考えて、自分の名刺と受け取った名刺を仕分けして入れられるよう、ポケットを2つ。

娘がとっても喜んでくれて、作り手としてというよりは、母として嬉しい。

それにしても、もう娘が社会に出て仕事をする歳になったとは。自分の名刺を持ち、パンプスを履いて仕事に出かけていく22歳の娘の姿を、いつもリビングに飾っている写真のあどけない表情の小さな女の子(一歳の頃の娘)の姿に重ねては、成長の喜びと一抹の寂しさを感じる母です。

自分の花を咲かせてね!!

ひとつ前に投稿した、クッピーラムネのドア。そのドアの向こう側、娘の部屋は最近模様替えされて、とても彼女らしい空間になっていたので、学生生活を終え、社会に羽ばたいたばかりの娘の部屋を本人の許可をもらいここに記録します。

クラッシックなワゴンの上にお気に入りの品々が飾られたスペース。そのなかに、彼女が生まれて1か月の初宮参りの時に使った張り子の犬も飾られている。いつか、私が断捨離しようか迷っていた時に、自分のお宮参りに使われた物とも知らない娘が、「何これー?可愛い♡♡もらっていい??」と言い、以来彼女の元で大切にされている。

犬の子は病気をせずにスクスク育つことから、犬の子のように丈夫に元気に育つように との願いを込めて、初宮参りで用いられるという犬張り子。おかげさまで元気にここまで成長しました。

先ほどのスペースを少し引いて見た画像。

和洋折衷、古いもの新しいもの、テイストの違う様々をミックススタイルで。彼女のこういう感覚は私ととても似ている。

アクセサリーのスペース。レディーの頭にのったsatosatosaのバングルは、松屋さんに出店していた時にお客さんとして来てくれた彼女がお買い上げしてくれたもの。娘でありsatosatosaの作品のファンでもいてくれる有難い存在。

窓辺に花束、3つ。両脇の2つは、旦那さんのお母さんが作る布花で作ったブーケ。繊細な布花を彼女らしくポップに束ねてある。

真ん中のは、後輩から就職のお祝いに贈られたというプリザーブドフラワーのブーケ。ビビッドな配色が可愛い。贈ってくれた後輩は彼女の好みを良く分かってくれているなあ。。

彼女曰く、ここはパワースポットなのだとか。大好きなアーティストのレコードジャケット、アンミカ先生(笑)の日めくりカレンダー、hahahaのかん君の感性が光るお言葉のポストカード、陶芸家としての道を進み始めた同級生うーちゃんの作品etc、、、引っ越す前にSちゃんと一緒にツートンカラーにペイントした壁は今も健在。

窓辺、その2。

天気予報が芳しくないゴールデンウイークに大学時代のお友達と旅行の予定有り。てるてる坊主を作って晴れ祈願^^

パワースポットの壁の上方。

これは、2年程前に私が作って彼女に贈ったものです。彼女が大学3年生になった頃のことです。それまで住んでいた大学の寮を出て、正真正銘の一人暮らしを始めた当時、折しも、コロナの問題が深刻化し、大学への通学どころか普段の外出すらままならない状況でした。

一人暮らしの部屋でどう過ごしているのかと、娘への心配を募らせながら、どうか前向きな気持ちで大切な時を過ごしてほしいと願って作ったものです。

この3月に横浜から大切に持ち帰ってくれて、部屋のパワースポットに掛けてくれたのを見て、何かしらこの作品から彼女がプラスの気持ちを受け取ってくれているような気がして、とても嬉しく思っています。

当時も、社会人になって日々奮闘している今も、そして、これからもずっと同じ気持ちで応援してます!!

「積極的に進め! 自分の花を咲かせてね!!」

新社会人 奮闘中

ある日、気が付いた。娘の部屋のドアにクッピーラムネが貼ってある。小袋が10個連らなったやつを、既に幾つか消費された状態で発見。それが、謎にドアに貼ってあった。。。

娘に聞けば、無事に一日の仕事が終わったら1袋食べる儀式??を行っているそうで、この連なりが減っていくのに小さな喜びを感じているのだとか。

なるほど、袋の裏を見てみたら、カレンダーのように曜日が記されていました・笑 

この写真を撮ったのが昨日(月曜日)の昼間、彼女がお仕事に行っている間なので、順調に消費されています^^

只今、研修の真っただ中の娘。毎日新しい経験の連続で仕事から帰ってくると、話をするパワーも残っていない程にぐったり。同期の皆がしっかり者に見えるそうで、日々緊張しながら奮闘中。

そんな中でもこんなユーモアを忘れずにいる様子に、心配しながら見守っている私もほっとする。ゴールデンウイーク前まであと数個に残ったクッピーラムネの袋が無事に彼女のお腹に入っていきますように^^

進め!

3月に大学を卒業した娘。おめでとう!

4年前、努力が実り自分で選択した大学に晴れて入学しました。

希望に燃えていた大学生活は、後半の2年間がコロナ渦中となり海外ボランティアサークル活動や語学留学も思うように実行できなかったどころか、ほとんどがリモート授業になってしまい登校すらままならず、、、。また、大きな怪我をして中高6年間続けていたサッカーから離れることにもなりました。

親の私が残念に思う以上に、本人はもっと歯がゆいところはあったかと思います。それでも、自分ではいかんともしがたい状況を受け入れて、充実した4年間だったと言う娘。横浜から家に戻って来た時、私に学生生活の思い出を語りながら、友人たちとそれぞれの道に進むことになった寂しさが込み上げ、涙を流していました。そんな娘の姿から良き友人に恵まれて名残を惜しめる大切な4年間だったことが伝わってきました。

4月から新社会人となり、慣れない環境で緊張しながらも奮闘中!!新たな世界で、失敗したり壁にぶつかったりすることもあるでしょう。でも、これまでも自分で自分の道を選択し、上手くいかないことも自分でちゃんと咀嚼して歩みを進めてきた強さがあるから、きっと大丈夫でしょう。さあ、次のステップへ、怯まず進め!!

ちょ太 卒業おめでとう

先日、ちょ太が無事に中学を卒業しました。

卒業式での晴れやかな表情や、式の後に友達に囲まれて笑顔で沢山の写真を撮っている姿は、充実した中学生活を物語っているようでした。

また、努力が実り希望する高校へ合格したことへの達成感や、新生活への希望に満ちた表情にも感じました。

この3年間を振り返れば、正直、思春期真っ只中のちょ太とぶつかることも多々ありました。

「絶対入るな!!」とちょ太の部屋のドアに張り紙が貼られていた日々。

「お母さんって、ちょ太をイラつかせる天才だね。」と吐き捨てるように言われたこと。

その時々でこちらも怒りや悲しみ、不安を感じてきましたが、そういう事も全て含め、成長をすぐ近くで見守ってこられた親としての幸せを、ちょ太の表情を見て深く味わった卒業式の日でした。

ちょ太、卒業おめでとう。これからも、お母さんはちょ太をずっと応援してるよ。

画像は卒業式の日にお姉ちゃんと玄関で撮った1枚。