40代ラストイヤー

先月19日でまた一つ歳を重ねました。49歳、40代ラストイヤーとなりました。

誕生日にU画伯から、お祝いの絵が届きました。優しく希望に満ちた世界。こんなイメージで進んでいきたいと思う。

この美しい世界が描かれた絵を裏返したら、、、


せんねん灸が貼ってあった!笑笑

これには、笑わしてもらって気分急上昇↑↑ 笑えるだけじゃなく、実用的でもあるのよね。肩や腰が痛くなっちゃうお年頃^^;。有難く使わせていただきます。

で、せんねん灸の下にも画伯らしいカラフルな絵と心にしみるメッセージ。

そうなんだよね~、今年も変わらずに誕生日が迎えられること、こうしてお祝いしてくれる友達や家族がいてくれるって、どんなモノにも代えがたい幸せなことです。有難う。

そして、更に人生に大切な事を届けてくれたU画伯。シャネルのアクセサリーも同封されていた!!!


と、思いきや、

CHANELのロゴの後ろに何やらプラスされているではないか!

CHANEL+うちげ 爆笑

人生に大切な事、健康、家族や友人の存在、そしてもう1つ、それは、

ユーモア!!

ひとしきり笑わせてもらった後で、ケースを開けたら、笑いは感激に変わった。なぜなら、画伯オリジナルのリングが入っていたからでした。

綺麗~✨✨

ほっと一服のコーヒーも。温かい心遣い。

このU画伯からの唯一無二の心のこもったお祝いしかり、家族や友人から届いた温かいお祝いメッセージに49歳を感謝の気持ちでスタートをきりました。心のガソリン給油、満タン♪♪周りの人に恵まれ、健康に過ごせる今に有難うの気持ちを持ち続けながら、40代ラストイヤーを過ごしていきたいです。

深めた思い

前の投稿で3回に分けてで綴った「嬉しい嬉しいお客様」、この出来事を通じて深めた思いがある。

購入した当時で既に築43年になっていた私たちの家。市場では既に建物としてのは価値が低く不動産情報サイトで見つけた時には、ほぼ土地のみの金額。長い間買い手がつかないまま、前オーナーが幾度か値下げを試みて売りに出していた状況だった。

購入する私達にとっては金銭的に助かり有難いことだけど、別の視点で見れば、まだまだ立派に使える建物、工夫して手を加えれば自分達らしい暮らしが叶えれれる素敵な建物が無価値のように扱われている現実。

そして、市場の価値とは裏腹にその建物を彩り豊かな思い出と共に大切な場所として心に刻んでいる方が存在している。その方が、48年の歳月を経た建物が、部屋のしつらえを変えながらも今も大切に使われいる様子を見て喜んでくださった姿を目の当たりにして、思うところがあった。

自宅のリノベーションに限らず、暮らしのなかやNINO、satosatosaでずっとやり続けてきたこと、例えば、椅子の座面を何度も張り替えて使い続けていくことや、古いガラスの器をリメイクしたランプシェード、海岸のゴミ扱いの流木を使った小出し、使われなくなったり一部が破損してしまったアクセサリーから新たなカタチを生み出すsatosatosa、、、

私達が手を加え作り変えてきた愛すべき古いモノのその先には、時に流れの中で関わってきた人の存在があり、思いがあるということ。

目には見えなくとも確かにある、そうした元の持ち主の存在や思いを感じながら、時を経てきたモノへの敬意をもって暮らしや制作活動を送っていきたい。

また、世間一般の価値観に囚われることなく、古いモノや使われなくなったモノに独自の視点で価値を見出し、創意工夫することにより新たな価値を与えていきたい。

現在、制作に取り組んでいるsatosaotsa作品、ブローチ「オナガドリ」。長~~~い尾のそこかしこに、色々な人達からsatosatosaに引き継がれたアクセサリーをちりばめている。

嬉しい嬉しいお客様 後編

中編からの続き

我が家にいらした初代オーナーは、我が家に一歩足を踏み入れるなり、当時と変わらぬ玄関の壁や大きな窓の様子をとても懐かしそうに眺め、何十年ぶりかのか再会に感激した様子で写真を撮っていらした。

その後、部屋を順にご案内していった。

和室だった2階の変化には、一緒にいらした息子さんと共に声をあげて驚かれた。また、私達が工夫して家族でリフォームしたことをとても感心され、褒めてもくださった。

現在はアトリエ兼、寝室になっている部屋は、元々はLDKだったので取り分け暮らしの思い出が詰まっているご様子。

before

after
after
after

当時と変わらぬというアトリエの窓のサッシを撫でるようにして手を触れながら、庭を眺め、沢山の写真を撮っていらした。

夏のサルスベリ

秋になると良い香りを漂わせる金木犀の大きな木、

寒い冬に凛と美しいツバキ

私たちを季節ごとに楽しませてくれる庭の木々は初代オーナーから4代目の私達まで代々変わらず受け継がれてきたものだと知った。

また、この家を離れた30年ほど前の引っ越しの日には庭の木々が真っ白になるぐらい雪が積もり綺麗だったこと、温暖な静岡での滅多にない積雪で、家が別れを名残り惜しんでくれているように感じたのよ、とのエピソードも伺った。

そして、この家を手放したのは、街の方にお店と自宅とアトリエを併設した建物を新築した為で、発展的なお別れだったことを伝えてくださった。

お帰りの際、息子さんが運転される車に乗り込んだ後、わざわざ窓を開け「若かった頃に頑張って建てた家、幼かった子供が成長した家が今も大切に使われていることが分かって本当に嬉しかったわ。ありがとう。」とおっしゃった。

庭の金木犀から一枝切ってリビングに飾ったある秋の日

突然巡ってきたかのような今回の嬉しい出会い、繋いでくださったMさんによると、実は初代オーナーが最近ご病気を患われたことがきっかけでご連絡があったのだそう。

入院・手術を経て今はご自宅で療養されている中で長年忙しくしてきた時間をふりかえるうちに、48年前に建てた家の現在を見てみたいとご希望されたとのこと。

そうした背景を伺うにつけ、何年も時が流れても尚、思い入れがある大切な場所を引き継いで住まわせてもらっているこの家との巡りあわせに感謝の気持ちになる。また、快適に暮らせるこの家を建ててくれた方に常々抱いてきた感謝の思いを直接伝える機会に恵まれて幸せだった。

繋いでくれたМさんに感謝。そして何より、嬉しい嬉しいお客様に、ありがとうございました。

3.11

東日本大震災から10年目の3.11が巡ってきました。

被災地より遠く離れた場所で10年前と変わらぬ環境で家族が健康に過ごしている身分の私には、もう10年も経つんだなと思う気持ちがあります。

しかし、大切な人を亡くされたり、故郷に帰ることも叶わぬまま慣れない土地で生活されている方々にとっては、ただ1日をやり過ごすだけでも苦しい思いを抱えていらっしゃる方もいるかと思います。そんな1日1日を積み重ねて10年もの間過ごしていらっしゃる方がいらっしゃる。

心の底からそのお気持ちを理解することは不可能で、軽々しく言葉にすることも申し訳ないような気持ちになる。ただ私にできることと、昨日は犠牲になられた方のご冥福をお祈りし、今も苦しい思いを抱えていらっしゃる方々の心が少しずつでも癒されていくようにお祈りしました。

そして、家族が健康に衣食住足りて暮らせる日々に感謝し、震災の記憶を風化させないようにと改めて思う。「日常」と思っている時間は実は「常」ではなく、恵まれた時間である。

今年もこころばかりではありますが、あしなが育英会の震災遺児支援に寄付をさせていただきました。

嬉しい嬉しいお客様 中編

前編からの続き

2週間ほど前のこと、ご近所のお友達Мさんから電話。「お願いしたいことがあるのだけれど、電話だと失礼なので今からお宅に伺ってもいいですか?」と。 

気の合うお友達Мさんにお越しいただくのはウエルカム、「どうぞ、どうぞ。」と文字通りの二つ返事で了承しつつ、「電話だと失礼なお願いって一体何だろう?」と少しの不安も感じたのも本心。

程なくいらしたМさんから伺ったお願いとは、私の心配は杞憂に終わる嬉しいお話だった。

そのお願いとは、

Мさんと今もお付き合いのある48年前に私達の自宅を建てた方が、家を見に行きたいとおっしゃっていて、可能ならば都合の良い時にМさんと一緒に家に来て部屋の中を見せてもらいたい、というもの。

思いがけない嬉しいお話に、電話を頂いたときにしたお返事と同じく「どうぞ、どうぞ。」と二つ返事でお引き受けしたのだった。

私達の住む家は、私達が4代目のオーナーです。私達に売ってくださった3代目オーナーとは面識があるけれど、それより以前のオーナーの方々のことは分からなかった。風の噂では初代オーナーはパチンコ屋さんだとか、海運会社の社長だとか聞いたことがあったけれど、どれも定かではなく。

ただ、私達は、その実像を知らない初代オーナーにずっと感謝してこの家に暮らしてきた。

この立地ならではの景色を存分に楽しめる天井までの大きな窓、

可愛い丸い窓もある。意匠を感じる挽き物の階段の手すりも、

玄関の重厚なタイル張りの壁も、

傾斜地を生かして半地下のようなスペースに作られた広いガレージも、

数え上げればきりがない程お気に入りポイントがある。一体48年も前にこんな素敵な建物を作った人ってどんな方なんだろう?と関心があったし、快適に幸せを感じながら暮らせるこの家を建ててくれた方に常々感謝の思いを抱いていた。

その御本人にお会いできることになるとは、とても嬉しかった。直接感謝を伝えられることも、家族で手作りした今の空間を見てもらえることもとても嬉しかった。

そうして先週末、初代オーナーはМさんと共に我が家にいらっしゃった。

てきぱきとした立ち振る舞いで華やかなファッションの女性。小柄だけれどパワフルなお人柄がそこはかとなく漂っていた。謎に包まれていたその正体は、飲食店を営まれていた経営者(現在は引退)かつ、日展にも入賞したことがある女流画家だそう。更に驚いたことには、この家を何と!27歳の時に女手一つで建てたそう。(築年数から換算すると御年75歳)。その時には既にお子さんもいらして、子育てしながら20代で家を建てたというスーパーウーマンだった。

後編に続く、、、、

嬉しい嬉しいお客様 前編

先日、我が家に嬉しい嬉しいお客様がいらした。そのことを綴ろうと思うのだけれど、その前にそのお客様とのご縁によって振り返ることになった我が家のリノベーションをこちらのブログでも時系列で辿りたい。(過去に綴った家造りの記事と重複するけれど、嬉しいきっかけを頂き、記録をまとめたので再度投稿)

5年前、築43年(当時)の中古住宅を購入した当時の2階の様子。階段を昇って直ぐは踊り場があり、奥には和室が二間あった。

和室の壁は天井までの大きな窓になっていて、高台に建っていることもありここからの眺めは最高!この写真では、お隣のお家がクローズアップされているけれど、引いて見れば、遠くに美しい富士山が、眼下には海も見える。この広々とした景色を日々眺めて暮らしたいと思い、当時は1階にあったLDKを2階に移すことに決めたのだった。

窓の外の景色と呼応するように、できるだけ開放的な気分で暮らしたかったので、間仕切りを全て取り払い、廊下も含めてフロア全体を1つの部屋にすることにした。

そうして畳や壁紙、床を全て取り払いました。当時、高校2年生だった娘の制服姿が懐かしい。一緒に写真に収められて、今振り返るととても良い記念の1枚。

その後はじまった、セルフリノベーション。一部はプロの大工さんにお願いし、大部分は家族で力を合わせ、週末ごとの作業を積み重ねコツコツと自分達の生活する場を作り上げていった。

YouTube動画を師匠に、何でもこなしていった逞しいNINOファミリー工務店棟梁の旦那さん。

1階にあったキッチンからシステムキッチンを分解して取り外し、

2階へと運ぶ。家族総動員で働いて、

ふう~~~っ。運搬完了。

当初、このシステムキッチンはワンフロア―になった元和室スペースに設置するつもりだった。が、

なかなか立派なシステムキッチンだったので、これを設置するとリビングのスペースを随分占領してしまうな、、、食材や調理器具など生活感のあるものは、くつろぎのスペースでは出来るだけ見えないようにして暮らしたいなあ、、、ならば、リビングとキッチンに間仕切りを設置するしかない??とすると、広々としたスペースでの生活は、イメージとちょっと変わっちゃうかも。

との懸念から、思い描いた未来予想図を何とか実現させたいと、立派なこのシステムキッチンを処分し極小サイズのキッチンに入れ替えしようかと探してみたり、あれこれ考えあぐねていたところに、私の人生最良のヒラメキ💡と言っても過言でない(笑)、アイディアが降臨~。神様有難う~。

その人生最良のヒラメキとは、

2階にあった広~~いベランダに、キッチンを増築しよう!!

このドアの向こうにあるベランダにキッチンを増築しよう!!

今考えると、増築とは素人には無謀だった気がしますが、未来への希望とは何と強力な馬力のエンジンとなることだろう。

鉄筋を入れ、ブロックを1つ1つ積み上げていく気の遠くなるような作業を重ね、

YouTube師匠の教えだけで、屋根だってファミリー工務店の施工でできてしまった♪

素人の手作り感いっぱい(笑)の外観ではありますが、そこはご愛敬(^^)

為せば成る!ファミリー工務店特製キッチンが増築できた。満足の仕上がり。

ベランダだった位置(現・キッチン)からリビングを望む。

増築キッチンのおかげで、イメージした通りのリビングダイニングが実現。

1枚目の写真から、ファミリー工務店一丸のお仕事でこのように変化した現在の2階スペース。

嬉しい嬉しいお客様 中編に続く、、、

Мさん文庫より

最近読んだ本。

こちらは、ご近所の気の合うお友達・Мさん(78歳)から借りた本です。

Мさんのお宅には古典文学から絵本まで多種多様な本が並ぶ書庫があります。初めてその空間にお邪魔したのは、町内会の用事でお家に伺った時。普通(?)のお家に大学の文学部教授の研究室みたいなお部屋が存在していて、紙の匂いと時を重ねてきた空間が持っている魂のような気配、本にまつわるМさんのお話をする優しい声などがミックスされて、何だか自分が突然、映画の中のワンシーンに入り込んだような不思議な感覚がしたものです。

ご主人亡き後、沢山の本を処分されたそうですが、それでもさながら「小さな図書館」のような様相。難しそうな本もありますが、年は離れていても気が合う(と、一方的な私の想いですが(^^;)だけあって、私の大好きなフジコヘミングさんの本もあったり。自分が興味があるものプラスアルファでМさんのお薦めをお借りして読みました。

どれも全て良かったけれど、なかでも自分では選ばないけれどМさんが薦めてくれた画像手前の2冊が特に良かったな~。それは、いつも自分が触れているものとは違う言葉の世界に触れたから。だからこそ得られる思考が広がっていく感覚があったから。

と思っていたら、お借りしたフジコさんの本の中にもこんな一節が。タイムリーに飛び込んできた言葉もまた有難い。読書から実感して言葉が腑に落ちる瞬間。

さて、全て読了したので、また近々Мさん文庫へお邪魔させてもらおう。サトコ文庫からもいくつかの本をお持ちしつつ。。。

散歩道から

今日の散歩道、見上げた夜空の月が綺麗。

この月を見ていたら、ふと、コロナ禍で気軽に会いにくくなってしまった愛知の父母や離れて暮らす兄弟に、今晩の静岡の月を届けたいなと思い立ち、グループラインに写真を送った。

すると母からこんなお返事。「こちらは白い中に微かに月の光がさしています。」

そうか、愛知は雪が降っているのか。

月明かりの綺麗な静岡から雪降る愛知の家族を想う。暖かくして休んでね。おやすみなさい。

メッセージ

年末年始の帰省からそのまま緊急事態宣言となり、普段は横浜で一人暮らししている娘が家に居る生活。

この状況下、一緒に居られることは安心できるし、久しぶりに長期間一緒に暮らせて嬉しい母心。

一方、3年弱の一人暮らしで、すっかり自由な生活に慣れている娘の朝の寝坊から始まってマイペースに映る日々のペースについあれこれと口を出してしまう。就職活動もっと気合い入れた方がいいんじゃない??などなど、色々気になるのも娘に良かれと思っての母心。。。

とは、私の言い分で、当の娘は私のそうした言葉を煙たそうにして自分のペースで就職活動も学校のレポートも進めていく。

そんな今日この頃、ある日の道すがら、お寺の前の掲示板にこんなメセージが。

ギクッ。私の心に突き刺さる。

そして、自分を省みる。

娘にあれこれ言ってる私はちゃんとやるべきことをやれている?

スローペースな制作、散らかった部屋、、、

「言わなくても見ている」って子育てを通じて学んできたつもりだったのに、まだ分かってなかったと反省。

他をいましめようとしていた 自分の心をいましめた48歳の冬。

2021年

2021年スタート。

気持よく晴れた元日には、静岡浅間神社へ初詣に。

神様の前で手を合わせてお祈りすることは、健康に穏やかに暮らせる日常でありますように。

年始といえば、我が家の恒例行事、「NINO家経営会議」も行われました。

昨年に各自が立てた目標を読み上げて、成果を報告し行動を顧みる。

コロナもあって思うように行動できなかった部分もありましたが、

それを差し引いても、立てた目標に向う実行力が伴っていなかった各メンバー。

会議の結論は、

折角立てた目標を絵に描いた餅にはしたくない!

と、今年は定期的に進捗状況を報告するミニ経営会議を開催することに。モチベーションが下がらないように、軌道修正が必要ならば認識して、コツコツと進み、今年の年末には各自が立てた目標を達成しよう!

そして、強く思うことは、この会議のメンバー全員で一年を充実たものにしたいということ。

自分だけ上手くいっても、大切な家族がつまづいていたら幸せなど感じられない。家族で良い刺激を与えあったり、励ましあったりして日々前向きに行きたいのです。

そんな思いを抱えながらお正月の箱根駅伝を見ていたら、青山学院大学の「絆大作戦」を知り、文字通りのレースを体現した姿に感動。

チーム一丸となってゴールを目指す姿勢にあやかって、我らも作戦名を考えてみました。その名は「Step By Step 大作戦」!

家族はチームだ!

目標は一気に達成できない。1日1日、Step By Stepで歩みを進めていきます。