敬老の日
両家のおじいちゃん、おばあちゃんにLINEのビデオ通話で日頃の感謝を伝える姉と弟。
22歳と15歳、親には冷めた態度をとることも多々あるのに、おじいちゃん、おばあちゃんには優しい声と笑顔で話をしている。電話口から漏れ伝わってくる両親の声は嬉しそうで、その様子を見て幸せな気持ちになった敬老の日。
敬老の日
両家のおじいちゃん、おばあちゃんにLINEのビデオ通話で日頃の感謝を伝える姉と弟。
22歳と15歳、親には冷めた態度をとることも多々あるのに、おじいちゃん、おばあちゃんには優しい声と笑顔で話をしている。電話口から漏れ伝わってくる両親の声は嬉しそうで、その様子を見て幸せな気持ちになった敬老の日。
私のスマホのロック画面。
賢く使えば、とてつもなく便利な道具なのに、
私には、時間を浪費する道具のようになってしまっているスマホ。
気が付くとスマホに手を伸ばし、SNSにネットサーフィン、、、
一週間ごとにアイフォンが送ってくるスクリーンタイムの長時間なこと!!
その時間があれば、もっと家のことや制作を丁寧にしたい。読書などもっと自分を豊かにすることにも時間を使いたい。
そこで、ロック画面に自分への戒めを込めたメッセージ。
必要もないのについついスマホに手を伸ばした時のサトコに向けてメッセージを送ります。
Time is money!
必要な時以外開かない🙅♀️
このメッセージが届き、不用意に時間を浪費することなかれ!!
遡って、10日ほど前の記録。
アトリエで隔離生活を送っていたコロナ感染10日目の私。抗体検査キットで陰性確認し、久しぶりのご対面~。紙コップに入れたコーヒーとパルムで旦那さんとコーヒータイム。
楽しみな予定が入っていたお盆休みを全て返上し、家事一切を切り盛りしてくれた大恩人の旦那さん。
普段から決して威張ったりせず、ギャグ漫画の登場人物みたいなキャラクターだけど^^、ピンチの時にはしっかり助けてくれる、実はでっかい男!!いつもありがとう。
8月のある日、友達と夏祭りに出かけた娘。
久しぶりに浴衣が着たい!と言って着たのは、まだ若かりし頃の祖母(私の母)が縫った浴衣。
+
母はこの浴衣を20代に作ったきりで、結局一度も袖を通すことがないまま、箪笥に眠らせること50年以上。まさか、こんな風に幸せな陽の目を見る日が来るとは、思ってもみなかった、と喜んでいました。
娘は今どきの浴衣とは雰囲気が違う、ノスタルジックな白地に紺の紫陽花柄を大層気に入りました。何より、おばあちゃんが自分と同じような年頃に手作りした浴衣であることに愛着を感じていたいようです。
+
人にもモノにも歴史あり。
祖母と孫娘、それぞれの人生の歴史のなかに、新しくこの出来事が加わりました。こうやって1つ1つ積み重ねられていく時間は目には見えないけれど、その人や物が纏う雰囲気を醸し出していくのだと思う。
娘の友達、Sちゃん撮影の浴衣姿と花火の記念写真。
今日で6月も終わり。今月は誕生日があり、私は50歳になりました。
誕生日の19日当日には、偶然にも大学時代の友人たちとの集まりがあり名古屋へ。10代後半からの長い付き合いになった4人組で、楽しい時間を過ごしました。
みんな年相応に色々抱えていることもあるけれど、気心の知れた面々と心置きなく話し、励まし合ったり笑い合えるって幸せなことだな。グループラインもあるメンバーですが、直接顔を見て、声を聞けるのは全く別もの。良い誕生日になりました。
+
誕生日に今年も届いた、U画伯のアート。
熟成 フレッシュ ポン 笑笑
ミー ビーナスさん???
イエス、イエス、イエス!!!
シワもクスミもタルミもシミもありますが、熟成の証^^
愛と美、ユーモアと自由溢れる画伯の人柄をそのまま映し出したような作品を、毎年誕生日に届けてくれる。ありがとう。
去年は羽ばたくサトコのイメージ、今年はこのイメージでいくことにするね!
50歳の熟成フレッシュサトコ、生まれました! ポン!
最近取り組んでいるアトリエのプチ模様替え。それに伴い、棚の中にため込んだ書類や雑誌なども片付けをしていたら、何年も手に取っていなかった黄色いファイルを発見。開いてみたら、こんなものが挟んであった。
ああ、懐かしい~~。この紙の存在を全く忘れていたけれど、ファイルを開けば蘇る記憶。これは、NINOのHPを作ろうとしていた2008年に、自分たちの大切にしていること(=NINOの活動の核になること)を言語化してみたものです。
2008年と言えば、転勤族だった旦那さんが単身赴任先から戻り、静岡で家族そろって暮らす生活を第一に考えて、会社を辞めた年。旦那さんはその年、お勤めをせず勉強に励んだ1年。家計の為に急遽勤めに出た私は、慣れない職種(とある法人の理事長秘書)に緊張感いっぱいの日々。小学三年生の娘と1歳の息子と家族四人、私達らしい日々の暮らしと未来を模索しながら過ごしていた時間が懐かしく蘇ります。
旦那さんも私もまだ30代。小さな子供二人を抱え、頼れる実家も県外で、時間も家計もやりくりが大変だったけれど4人で力を合わせてが頑張った時間は、振り返れば貴重な家族の歴史。
その時作ったNINOのHP。最近ではすっかり開くことも無くなっていたけれど、改めて見返すと、NINOが私達の日々の思考や行動の根底にあることを改めて思う。中でも、THOUGHTというカテゴリーに記した、これが私たちの核となっているのは、2022年になった今も不変。
+
この春から、娘を社会に送り出し、これで母親としては一安心と思っていた私。ところが、そうではなかった、、、慣れない仕事に疲れて帰宅する様子を目にすれば、仕事は務まっているだろうか?人間関係に困っていないだろうか?と、安心どころか、あれこれ心配している。
学生ではなくなって金銭的に援助することはなくなっても、わが子のことを気にかける気持ちは、きっとこのまま変わることなく、私の人生が終わるまで続くんだろうな。
そんなことを思っていた矢先、母から荷物が届く。
箱を開けたら、ずらりと並んだトウモロコシが、こんにちは!!新聞紙が巻いてある包みは長ねぎの束。小さなジップロックの袋には、母のお手製梅干し。そして、この下には精米したてのお米。
お米は10kgはあろうかという重さ。75歳のおばあちゃんには、運ぶのだって重くて一苦労だろう。それなのに、私が結婚してから20数年、定期便のようにせっせとこの愛情便が届き続ける。お母さん、私、もう50歳だよ。
自分も子を育ててみて、以前よりは母の気持ちが分かるようになったから、この荷物の重さをずっしり感じながら、お米や野菜に込められた気持ちが有難い。しみじみと。
先日、庭の木の手入れをしていた旦那さんが、鳥の巣を発見。
既に雛が巣立った後らしく、長らくお留守の雰囲気だったので、手入れしていた他の枝と同じように巣の作られた枝も切り落としました。
枝分かれした場所にきっちりと納まる形に作り上げられている。安定感抜群に住める場所を、ちゃんと選んでいるんだろうな。
巣の中は見事にまん丸。小さな巣で、雛が肩寄せ合って暮らしていても、優しく包んでもらえそうな形。美しいだけでなく、命を繋いでいくのに理にかなった作りなんだろうな。
とんかちや釘など何の道具も持っていない鳥さん。材料を調達するお店も無し。当然、ユーチューブで作り方を調べたりすることも(笑)、誰かにやり方を教えてもらうこともなし。
ただ、本能と身一つでこんな見事に住み心地良さそうな巣を作っている。
一方、世に溢れる情報を詰め込んだ頭で、アレヤコレヤ考えて迷走したり、妙な作為もチラチラと頭をよぎったりしながらモノ作りをしている私は、鳥さんが作った見事な巣の姿に教えられることがあります。
そんなこともあり、私はかねてから、昆虫などの自然界の生物の住処の美しさに惹かれていたのかな??
アトリエの「自然の造形美コレクション」に、庭の鳥の巣も加えました。
制作に迷ったときには、この作為のない自然の造形美を拝んで心を清めます^^
+
+
鳥の巣と言えば、、、
昨年末のリースの展示会用に作りました「bird’s nest」という平置き型の作品があります。
展示会でお嫁入りすることなく私のところに戻り、今は我が家の玄関に飾っています。
本家本元の「bird’s nest」には及ばないけど、こちらも日々愛でて暮らしております。
実家の母が育てたグリンピースの鞘を剥く。中から顔を出した丸々と可愛い緑のお豆を見ると思い出す、このブログに「緑の水玉」と初めて投稿した日のことを。
あの日からスタートし、その時々の出来事や気持ちを綴った1日1日の私の小さな生活が繋がって、この5月で17年!!
長い年月が過ぎたけれど、毎年恒例の母のグリンピースを今年も味わえて、ささやかながらも楽しい毎日を続けられていることが有難いなあ、と、グリンピースの鞘を剥きながら思うのでした。
ブログを始めた節目の5月に改めて、この小さな生活のモットーを記録します。
「少しの工夫と心がけで、ささやかながらも楽しい毎日」
背伸びしない。
自分の大切なことを見失わない。
毎日を心豊かに楽しく過ごす!
18年目も変わらず、この精神で私の「小さな生活」を送っていこう。
ゴールデンウイーク、愛知への帰省を終え静岡へ戻る道すがら、安倍川を渡る橋の車窓から眺めた夕日。
安倍川のこの景色を見ると、「静岡へ戻って来たなあ。」と帰省する度に感じる。
生まれ育った故郷で、離れて暮らす家族も私たちも皆が健康で一緒に過ごせた時間に感謝しつつ、また静岡に戻って私は私の場所でがんばろうと思う。