動物園のモザイク壁画

自分の嗜好するもの1つに、「細かいパーツが集まって形作られたもの」というのが確実にある。

日本平動物園の入り口のモザイク壁画に惹かれるのも、多分その嗜好によるところ。

背景の、無数の細い石がたまらない。

石でこんな微妙な色の表情が出せるなんて素晴らしい!

もちろん、並んだ動物たちの可愛らしい姿もいいのだけれど。

ただ、すごく残念なことは、この壁画の直ぐ前に立つ旗。

この場所は、旗を立てるポイントと決まっているらしく、いつ行っても壁画を眺める私の視界は旗に遮ぎられる。

その時々で旗の模様や色が変わっていて、入れ替えられている様子だけど、立てる場所はずっとここ。

全景はこんな風。

ゾウさんの長い鼻と、キリンさんの長い首が犠牲に・・・涙

これじゃあ、折角の壁画がかわいそう。

果たして、この旗はそんなに必要なのかなあ?

これがあるとどれだけの営業効果があるのだろう?

素晴らしい壁画が、遮るものなく入口でお客さんを迎えるほうが、よほど魅力的に思えるのだけど。
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4月のこと、これからのこと

仕事を辞めて1か月が経過した。

思いがけず与えられたこの貴重な時間を有意義に過ごしていくため、4月を振り返り、5月以降のことを考えてみよう。

<4月のこと>

まず、家のこと、子どもたちのこと、今まで行きとどいていなかったことに心を配れるようになったことが1番の成果。

平日の夕飯の支度に時間がかけられるようになり、子どもたちと一緒にコロッケを作ったりもした。

些細なことだけれど、とても幸せなこと。

加えて、自分にも時間を割けるようになり、毎日せっせとチクチク手を動かしていた。

相変わらず、手縫いで米印クロスを作っている。

進むスピードも相変わらず遅い。

けど、ここは時間ではなく丁寧さと自分の作りたい形であること(手縫い)を優先。

本もたくさん読めた。

これは、今すぐ目に見える形になって現れることはないけど、心にいっぱい栄養を取り込めた感じがする。いつか何らかの形で私を助けてくれるのではないかな。

3年前の教訓を生かし、たとえゆとりがある時間だとしても浪費しないよう、意識しながら過ごせたと思う。

ただ、何の計画も無しに行き当たりばったりで過ごしてしまったことが反省点。

<5月以降のこと>

目標を決めて、目標までの計画を立ててみよう。

1か月先、3か月先、1年先。と、ある程度の期間で区切って。

あとは、毎日その日その日の計画も立てよう。

できれば、細々とした雑事(とれてしまったシャツのボタンをつけるとか)も、ため込ままず気分さっぱり過ごしたい。

前の晩か当日の朝に、やることリストをメモ書きして忘れないようにする!

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建築物

建築物って、計算され尽くした巨大なアートだなあと思う。

構造計算の上で成り立つ、建物全体の美しいプロポーション。

内部の階段や窓や照明などの細かい配置。

昼の姿だけでなく、夜の姿も、

季節や年月とともに姿を変えていく植物との調和も、

きっと全部考え尽くして作られているんだろうなあ。

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時は移ろう

例年になく長い間楽しめた今年の桜もそろそろ終わり。

花が散り、緑々した葉が顔を出しはじめました。

時の移ろいを感じます。

仕事を辞めた私は、この春から少しゆったりと時間を使えるようになりました。

退職は自発的ではなく思いがけない出来事だったけど、それにより時間のゆとりも思いがけず得ることができました。

折角なので、有意義に使いたい。

ゆとりがあるといっても、時は確実に流れていくし、無限ではないのだから。

タイム イズ マネー!!

大切に。大切に。
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小出しに思う その2

↓の記事の「小出しに思う その1」

ああ、これは私たちの日々と同じだなあと気がつく。

人、モノ、言葉、場所、時間、空気、 

感覚、思考、試行、失敗、達成 etc・・・

小さな一つ一つのパーツが集まって成る私たちの日々。

自分が意図するしないに関わらず、

日々、たくさんのことがやってきては通り過ぎていく。

そのなかで自分が大切に思うことはキャッチして心に留め、温めている。

心に留め、温めていた日々のパーツは何故だか不思議と繋がっていき、

だんだんと広がり、やがてちゃんと自分の意思と通じた形を成していく。

ときに偶然のように、ときに必然のように。

これは、自分たちの経験を通じて、最近実感していることです。

今、何らかの形となっていることを振り返って考えてみると、

様々なパーツが結び付いて、面になり、奥行きを増し、立体に成っていったと実感するのです。

4年前にひっそりと始めたNINOの活動しかり、

昨年末に急展開で決定した旦那さんの再就職しかり。

大きなことだけじゃなく、些細な出来事にも、最近は何かにつけてそんなことをひしひしと思ってたら、小出しにまでも、自分の思いがぴったりと重なりあってしまったのでした(笑)。

ちょっと、強引だったかな?

でもね、モノを作ることであれ、日々の暮らしであれ、進む道であれ、

それぞれに別のものに思えることも、大切なことはどれも変わらないのではないかと思うのです。

ベランダにて、勉強の合間のお茶の時間を過ごす旦那さん。

昨年・初夏の頃の写真です。

こんな日々も、確実に今を織りなす一つのパーツになっています。
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小出しに思う その1

-小出しのパーツ-

①暇さえあれば拾い集めている流木

②ついこの前、散歩中の道端で見つけた錆びた鉄くず 

③6年前(ひなびたワゴンと同じ)解体中の工場からもらい受けた窓ガラス

④護国神社蚤の市で出会った古いくぎ

 

私たちの手元にやってきた時期も場所もてんでばらばら。

特に小出しを作ろうと思って集めてきたものでもない。

ただ好きな雰囲気というだけで自分の近くに置いて温めていたもの。

そんなものたちが、ある雨の日にふとしたヒラメキから繋がって、小出しという形になった。

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それもまた

「それもまた楽しみじゃない?」

友達からの言葉。

そうだよね。

思いもよらぬ出来事にはじめは納得できなかったけど、

今は、それもまたいいかもね。と思えるようになりました。

一見すると良くない出来事が、

実は明るい未来に結びつくきっかけになるってことあるしね。

この流れに乗っていこうと思います。

逆らわず、流れてみよう。

そうしたら、今居る場所では知ることのなかった世界に辿り着けるかもしれないし。

それもまた楽しみだね。


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レンジ無し生活

うちのオーブンレンジ。

レンジ機能が故障中です。去年の10月から。

それまでずっとこの文明の利器に頼りきった生活をしていたので、

壊れたときには、「勘弁してよ~(泣)」と嘆いたのですが、

嘆いておきながら、重たいレンジを電気屋に持ち込むことも億劫だったりして、修理に出すのを後回しにしながら月日が流れています。

初めは不便極まりないと思えたレンジ無し生活でしたが、

無ければ無いで工夫をしながら何とかやっていけるもの。

4か月が経過したこの頃では、レンジ無し生活に大した苦も感じなくなり、

別にこのままでもいいかも~なんて思いはじめています。

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