リビングの窓辺を夏仕様に模様替え。
引越し以降、押入れの奥にしまい込まれていた貝殻サラダを引っ張り出し、旦那さんの作った流木フレームとコーディネート。
キッチンの天井には、古い器を加工した自作のガラスランプシェードを。
オレンジ色の小さな明かり。
これだけでは少々暗いけれど、料理中の手元を照らす照明は別にあるので平気。
細かくカットされたガラスを通した美しい光を、とても気に入っている。
↓の記事の写真の反対側の並び。
当初、冷蔵庫隣のスペースに食器棚を収納しようと考えたけど、幅が足りず断念。その後も色んな家具の配置を試しながら、落ち着いたのがこの状態。
前のうちでもキッチンで重宝した、旦那さん作の棚を置くことにした。
オープンな棚に、せんべいの空き缶やらウイスキーの木箱やらを駆使して収納。お気に入りの入れ物が並んでいるこの状態を見てると、入れ物コレクターの私としては、ちょっとうっとりしてしまったりして。(笑)
食器棚の置き場に困りはてていたとき、狭いキッチンを恨めしく思ったりしたけど、今となっては結果オーライ♪
フレキシブルに収納できるし、実用面でも優れているこの棚をここに置けて良かったと思う。
(実はこの棚、引越し後の数週間、ベランダでバケツやジョウロの置き場になっていた。)
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うちのキッチン。
もとは、リビングに対面式のセミオープンスタイルでしたが、
食器棚でリビングと区切り、独立したスペースに変えました。
シンクの前に置いた食器棚の背を壁に見立て、棚を取り付けています。
一見すると、元のキッチンの良いところをわざわざ潰してしまうような行為に映りますが、こうしたことによるデメリットは、「キッチンに届く自然光の量が減った」ということのみ。
はじめ、リビングにいる子ども(チビの方)に目が届かなくなることも心配してみたけれど、よく考えれば、私がキッチンにいるおおよその間、彼は私のところにやってきて遊ぶので問題なかったのでした。
それにひきかえ、メリットは複数。
1・嫁入り道具である巨大食器棚の格好の置き場所となった。(なにせ巨大なので壁や天井の梁が障害となり、他にスッキリと収まる場所はなかった)
2・炊事する場所から簡単に手に取れる位置に、鍋やヤカンの置き場所ができた。(これは、使い勝手が体にしみ込んでいる10年間暮らした前の住まいと同じような様式)
3・片付け下手な私は、生活感が溢れるキッチンには目隠しがあった方が好ましい。(結局、これと同じ考え方。「蓋付き容器」→「間仕切り付きキッチン」となっただけ)
しばしばこのブログに、登場する不動産屋さんは部屋を案内してくれたとき、「人気の対面式で、小さいお子さんに目が届くので申し分ないキッチンですよ。」などと言い、元のスタイルをセールスポイントにしていました。
確かにそれは真実でしょう。
そして、それを具合よく使う人が多くいると思います。
でも、それは多くの人ではあっても、全ての人ではないのだとも思います。
事実、不動産屋さんのお勧めポイントとは逆の発想により、
私とっては、気持ちよく使えるキッチンになっているのですから。
「既成概念に囚われず、ちょっと違う方向から見てみよう。」
「与えられた条件(注文住宅でない限り免れない・・・)のなかでも、よりよい道を探ろう。」
「何より大切なのは、気持ちよく暮らすこと!」
たかが小さなキッチンの配置をするだけのことから、とても大きな教訓を得た気がします。
うちのリビングの床はクッションフロアーです。
ここに越してきたとき、そのことを不動産屋さんに嘆いたら、
「今はほとんどの(物件)がこれ。下手にフローリングだと傷つけちゃったときに退去時の支払が大変になるから、こっちのほうがいいよー。」と教えてくれました。
なるほど、賃貸住宅に住むのだからそれは大きなメリット。
住んでみたら、掃除やメンテナンスが楽なことも分かりました。
でもなあ、このつやつやした感じがやっぱり好きになれません。
たとえ、退去時の清算が少々かさんだとしても、掃除やメンテナンスが多少面倒でも、私はフローリングの床の方が好きだなあ。
前のうちのリビング。
築30年の歴史を刻む傷があちこちにありましたが、気になりませんでした。
市松模様のレトロなフローリングをとても気に入っていました。
ありにも可愛らしい(親バカ)↑の版画。
額に入れて、リビングの子どもコーナーに飾りました。
夢のある図柄もいいけど、鮮やかな緑色で刷ってあることもなかなかいいと思うのです。(また親バカ)
今年のうちのクリスマスツリー。
上部に集中的にオーナメントを飾り、下部はオーナメント無しの葉っぱだけ。
息子がイタズラでいくつもオーナメントを破壊するので、その対策でこのありさまです。
でもまあ、今年はしょうがない。
1歳になったばかり、好奇心の塊のような息子。
きらきらゆれるオーナメントに、触れるなというのが無理な話。
もし、何年か後にちょっと間抜けなこのツリーの姿を思い出すことがあれば、
ヨチヨチ歩きで、忙しそうにイタズラに励む息子の姿も同時に思い出すんだろうな。